労働現場の実態


今月、下記のような不幸な事故が起こっている。
住金構内で労災死亡事故 /和歌山
3日午後7時45分ごろ、和歌山市湊の住友金属工業和歌山製鉄所構内で、同市松江北、運送会社社員、斎藤正志さん(59)が、構内作業用のディーゼル機関車と台車との連結部分で、ぐったりして座り込んでいるのを同僚が見つけた。斎藤さんが「挟まれた」と話したことから病院に運んだが、腹部を強く打っており、4日午前10時40分に死亡した。和歌山北署の調べでは、斎藤さんは、鉄のかすを積んだ台車を構内の処理場へ運ぶため一人で連結作業をしていたという。原因を調べている。
毎日新聞 2006年11月5日
下図は、厚生労働省が毎年公表しているわが国の産業界における労災事故死亡者数の統計である。
1970年代以後、死亡者数は大きく減少しているが、これは高度成長期における産業界の機械化、自動化で現場における就労者数が減ったためと見るべきで、必ずしも作業安全対策が貢献したものとはいえない。その後、減少率が鈍って横ばい状態になっているが、この間にも就労者数が減りつづけていることを考えると、事故率はむしろ増大しているとも考えられる。
この統計を見て衝撃を受けることは、わが国の産業界では今後も継続的に毎年1600名近くの尊い生命が失われ続けるという現実である。航空機事故でいうと、毎年ジャンボ機が4〜5機墜落し続けることに相当するが、なぜか社会がそれほどのインパクトを感じているとは感じられない。
それに加え、毎年何十万人という人々が労働災害で負傷して後遺症に苦しむとともに、膨大な労災保険の支払いが国民の負担となっている。負傷者には当然、外国人就労者も含まれるが、外国人には十分な補償制度もなく、このことが産業界の将来に暗い影を投げかけている。
産業界は労働安全衛生マネージメントシステム(OSHMS)やゼロ災害運動、危険予知(KY)活動を通じてさまざまな啓蒙を行っているが、目立った効果は見られない。
死亡事故は建設業や製造業で多い。これらの現場からは、「KY活動が事故を誘発している」との悲痛な叫びがあがっている。KY活動の一環である指差呼称に対しては、「指差呼称をする余裕があればエラーなどしない」といった現場の生の声がある。
建設業や製造業で労災事故が多いのに対して、サービス業では少ない。しかし、この現象を手放しで喜ぶことはできない。サービス業では、ヒューマンエラーの結果が、従業員ではなく、顧客の被害という形で表出していると見るべきであろう。特に、医療界では、医師や看護師、薬剤師などの医療従事者が医療ミスで死亡することはなく、院内感染などを除いては労災事故は存在しない。
そのために、医療関係者は、最近になって医療訴訟が顕在化するまではヒューマンエラーに対してさほどの深刻感を持たなかった。同様に企業でも、経営者、事務営業職、技術職などの間接部門のスタッフは労災とは縁遠く、現場のスタッフほどはヒューマンエラーに関心を示していない。なかんずく、労災とは最も縁が薄い学者や研究者、評論家は、現場の生の声に耳を傾けることなく、仮想現実の世界で防止策を論じている。


コメント


労働災害の統計は、はからずも下図の世界の航空事故統計と傾向が一致している。航空界では、事故率がこのまま横ばい状態で推移すれば、今後の航空の発展による飛行回数の増大にともない、事故数は顧客の信頼を失うレベルまで増加すると懸念されている。統計の傾向の一致には、社会的な背景が同じということだけでなく、ある共通の科学的な根拠が存在している。
産業界が励行しているKY活動やISO9001の品質管理、航空界が拠り所としている信頼性管理方式、医療界がこれから採り入れようとしているクリニカルパス(Clinical Pathway)は、すべてテイラリズムの派生であり、ヒューマンファクターの観点からはマニュアル主義とよばれるものである。
マニュアル主義の特徴は、作業者に「何が」危ないということは教えるが、「なぜ」危ないのかとか、「どうすればよいのか」は教えず、ただ、「決められたことを決められた通りにやっていればよい」と教えるだけである。その理由として、管理側は、リスクの要因をいちいち教えていては作業者を混乱させることをあげるが、これはむしろ言い訳であり、管理側が確固としたエラー理論をもっていないことが本当の理由ではないだろうか。
労働とは、精神的および肉体的な負荷に対して対価を得る行為であり、人間は負荷を受けながら働いている時には生命維持の防衛本能で顕在意識を抑制して潜在意識だけで情報処理を行う。これに対して、自主的に行動する趣味の世界では顕在意識で行動することができ、エラーは少ない。
マーフィーの法則にもあるように、潜在意識にリスクだけを強調すると、潜在意識は素直にその通りに行動してしまう。これが、「KY活動が事故を誘発している」との現場の声に信憑性がある科学的な根拠である。
道交法では、自動車を運転する際に毎回、エンジンや車体の状態を点検する仕業点検が義務付けられているが、これを忠実に守っている運転者はまずいない。しかし、運転者がまったく点検していないわけではなく、潜在意識の中で五感を通じて音や振動、臭いなどの異常を微妙に感じ取っている。それができるかどうかで運命がわかれる。
KY活動が励行している指差呼称は、まさに自動車の仕業点検に相当する。ISO9001の品質管理や航空界の信頼性管理方式、医療界のクリニカルパスなどのマニュアル主義の安全管理も、本質的には自動車の仕業点検と変わりはない。形だけを意識的に行っても、実効性はともなわない。
指差呼称は学者や研究者が考え出したものではなく、わが国の鉄道の創業直後から現場で生活の智恵として行われていたものであり、ベテランのすぐれた潜在意識による行動の結果としての「仕草」といえる。形だけの指差呼称が効果を発揮しないのは、ゴルファーがゴルフの教則本やプロの写真を見てフォームだけを真似てもうまくならないのと似ている。
これに対して、当社のヒューマンファクター訓練は、リスクを強調するだけでなく、具体的にどうすれば潜在意識を活用できるかを教える。科学的に合理性をもつやり方でなければ、労災事故や航空界、医療界など、産業界の諸々の事故を減らすことはできない。
横並びの産業界で孤立することを恐れる各企業は、KY活動やISO9001などのマニュアル主義のやり方を捨てて180度異なるヒューマンファクターに移行することを躊躇している。しかし、米国の航空界は、ヒューマンファクターの概念にもとづいて考案されたAQP(Advanced Qualification Program)という、従来の信頼性管理体系とは180度異なるやり方への移行に挑戦している。これは、航空輸送が米国経済を左右する基幹産業であることを米国政府が認識しているからといえる。